寒くなると飲みたくなるのは、喫茶店に入って飲む暖かい紅茶。
それもロイヤルミルクティー。
ロイヤルと聞いただけでなんだかものすごく優雅で豊潤な紅茶なのではないかという錯覚に陥り、即注文。
家でも暇さえあればこの時期、大好きなコーヒーではなく、なぜか熱々ミルクティーばかり飲んでいます。私のミルクティーはいわゆる牛乳と紅茶の半々割りをレンジで熱くして飲むだけの話です。
時々それに少しだけパキスタンの塩を入れて、それにエシレのバターも少し加えて、国籍不明ミルクティーにして飲みます。
誰もまねできない私だけの変則ミルクティーです。
この感じは昔行ったウルムチの近くのパオで飲んだお茶、バター茶のイメージです。
でも遙か昔なので記憶は微か。多分、こんな感じだったというだけです。
それに賛否両論ある変な味です。まねしない方が身のためです。


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ウルムチは旅の途中の私にとって天国のような場所でした。
中国の北京からいろいろな土地経由でシルクロードを旅してトルファンに着いたのですが、そこは昼夜の気温の差が30度くらいの、埃と砂の、空気がばりばり乾燥した場所。旅の疲れが出てあっというまに体調を崩してしまいました。砂漠の劣悪な環境です。
その灼熱のトルファンを出て、ずっと続いていた砂漠地帯を過ぎて、ウルムチにさしかかった時、峠を車で越えたのですが、目の前に素晴らしい草原が広がっていました。それがウルムチの平原でした。ウルムチーっ!素晴らしいぞーっと思わず叫びました。
山には木が茂り、水が流れ、草が茂っている、そのイメージは中央アジアというより私にはヨーロッパのイメージでした。その土地に川が流れ、その土地に水があるということがこんなにも素晴らしいこととは・・・。

懐かしいウルムチ。私が行ったのは30年くらい前のこと。
現在ウルムチは漢民族とウイグル族の対立でおかしなことになっています。昔は民族同士の不満の種はもちろんありましたが、それでもこれほどの激しい対立はなかった。
暴力の連鎖です。誰かが扇動し、誰かが焚き付け、誰かが不安になる。そして報復行為がおき、お互いの不信感がつのり、と言った連鎖。
人は弱く愚か。でも自分の感覚を信じないで誰の感覚にたよればいいというのか。
その頼るべき自分の感覚さえも否定されてしまう暴力の連鎖。
普通に生活する人たちがそこにいて、日々の暮らしを営み、家族を大切に思い、隣人を気遣うだけだったのに、誰がこういうことを扇動するのか。愚かな組織の愚かな一部の人間が暴走するだけでこんなにも愚かな連鎖が続いていくのです。

いけないっ。またまた怒りが込み上げてきました。
いい思い出のある、思い入れの強い場所がとんでもないことになっていると「誰のせいだーっ!」と怒りたくなるのです。
私の中にあるのは、イデオロギーでも大義名分でもありません。ただそこの土地に暮らす人を想う、その大切な想いだけです。



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 いつも何かを考えている私の机の上の羊たち。




ミルクティーは、寒い午後のお茶。街を歩いていて落ち着きたくなると、さっと喫茶店に入り注文。それからおもむろに懐からiPodを出してジャズを、いえ、バックから文庫本をとり出して読み始めます。
時々無性に読みたくなる本『武満徹 言葉の海へ』彼の文章は私のペースにぴったりと合います。静かに静かに語りかけてくる彼の音楽への想いが、いつも大切なことを私に気づかせてくれます。
つい忘れてしまう何か大切なことです。


最後にまたまたこの気持ちにピッタリのジャズをひとつ。
エラ・フィツジェラルドの A House Is Not A Home 。
大好きなエド・シグペンが、エラの声に寄り添うようにハイハットをシンプルに合わせるだけの、そしてかすかにシンバルをというだけの音でサポートしています。

家は大切。
家は帰って行く場所。
家を失ったたくさんの人に、温かい、帰る家が早くみつかりますように。


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 琵琶湖の湖北にて 左奥に見えるのが竹生島
     渡り鳥のサンクチュアリ。素敵な共存仮住まい用鳥団地。