◆テレビ番組

 このところあまり大きなテレビ番組に出演してなかったのだが、最近になってテレビ東京の『ソロモン流』という番組から出演依頼がきた。

 「脱サラ・田舎暮らし万歳!」みたいなありがちな番組は困るな、と思ったら、もっと骨太の人物ルポだという。送られてきたCDを見てみたらたしかにそのようである。ちょっと恥ずかしいけど出演を承諾した。番組司会の船越英一郎さんはずっと昔にロケでアリス・ファームにきたことがあるそうで、ぼくが本にサインをして進呈したらしい。よく覚えていてくれたものだとちょっと感銘した。

 一時間番組だから撮影も大がかりで都合2週間ほどかかった。ディレクターはじめ皆さん熱心でまじめで、テレビ取材としてはかなり上質な人たちだった。



 というわけで番組は8月17日(日)の夜10時にテレビ東京系列で放映になる。どうかご覧下さい。恥ずかしながら、そこにあるのが目下の私めの暮らしであります。

 夢枕獏さん、友情出演ありがとうございました。



◆オリンピック

 夏休みになって息子たちが帰省している。食卓がにぎやかで大いに結構だが、食事が終わってさあ遊ぼうよ、と誘ってもふたりとも勉強が忙しくて全然つきあってくれない。自分の学生時代と比較して連中の勉学ぶりは驚異的で、なるほど医者になるというのはこういうことなのか、と改めて感心するのであった。

 そのふたりとの話の中でなぜかくもオリンピックが退屈か、という問題になった。結論は簡単で、「ニッポンチャチャチャ!」と応援する人にとっては競技がなんであってもおもしろいのであり、そうでない人にとっては一式どうでもいい事柄なのである。愛国的立場をとるか、非愛国的立場かでオリンピックがおもしろいかどうかはっきり分かれるのではないか。

 いっそ反愛国的立場に立って、「ニッポン負けろ!」というかけ声のはどうだろう、逆説的おもしろさで見物できるんじゃないだろうか。というぼくの提案には乗らず、息子たちはバトミントンの潮田玲子ちゃん限定で応援することにしたらしい。賢明な立場である。



◆読書

 暑い夏だけど、このところ早朝に本を読む習慣ができてきて、早いときは4時からベッドで読書。目覚めのぼんやりした意識の中で、時々目で文字を追っているだけになったりするが、それでも結構いっぱい読んでいる。

 当たりはずれがあると面倒だから、芥川賞とか直木賞とかの受賞作、候補作をかたっぱしから読む怠惰な読書、いっぱい読んだといってもあまり威張れない。

 ご参考に小説でおもしろかった10冊をあげてみましょう。

『永遠の出口』森絵都、『女王様と私』歌野晶午、『東京島』桐野夏生、『陰日向に咲く』劇団ひとり、『きつねのはなし』森見登見彦、『浮く女、沈む男』島田雅彦、『乳と卵』川上未映子、『私の男』桜庭一樹、『八日目の蝉』角田光代、『でっかり月だなあ』水森サトリ。



 ところで。前回に述べたようにぼくは世の中の「エコブーム」に猛烈な反感を持っているのである。「エコ」に反感を持っているのではなくて、「エコブーム」の騒々しさにうんざりしているのである。

 という視線で本屋の棚を見て、2冊を買ってきた。武田邦彦『偽善エコロジー』と池田清彦・養老孟司の『本当の環境問題』だ。エコロジーブームでリサイクル運動が盛んだけど、実際には役に立っているものは少ない、という指摘。あるいは、エコブームなんかで騒いでる場合じゃない、本質はエネルギー問題にあるのだ、という視点がおもしろい。


 メディアも企業広告も役人も学者も、揃って「エコエコ」の翼賛的大合唱がなり響く中、ちょっと視点を変えて考える必要があると思う。



◆コープ札幌余市店のレジ袋問題について

 前回の通信を読んだ人から、「そんな弱いものいじめみたいなことやめたら?」という意見があって、どうしてスーパーのレジ袋問題で抗議することが「弱いものいじめ」になるのかとも思ったが、まあいわんとすることが理解できなくもない。

 だから、一応意見はいった、ということで終わらせるつもりだったのだが、ある日コープの「店舗本部長」という人から反論の手紙が送られてきた。「余市店長」ではなくて本部長。どうせ形式的な手紙だろうと思ったら、なんの、文面は中々に強気だし、質問していることには答えずに結構勝手なことを主張しているではないか。

 「藤門さんともあろう方がとがっかりしました」云々と攻撃的な姿勢だし、自らの立場を圧倒的に正しいと信じている様子だ。まさにそういう「正しい立場」や身勝手な「正論」にこそ反発してるのにね。


 ペラ一枚の雑な文章で、こんなのをもって「オレがしっかり反論、論破しておいたぞ!」なんて周囲にいっていたりすると業腹なので、もう一回いわせてもらおう。



 まず、ぼくがいってるのはレジ袋節約への反対ではなくて、レジでその都度「袋がいりますか?」と質すことへの抗議だ。敵にはこれが分かってなくて、「レジ袋の節約は低炭素社会への入口なのです」なんていうトンチンカンな反論がされている。議論の出発点を間違えた上に、「レジ袋の節約でCo2制限はできないが、それは出発点として役に立つ」というように話を展開してしまう。

 レジ袋を制限してもCo2削減にはならない、という認識は正しいのだろうが、それでもやらないよりいい、あるいは運動の入口として役立つ、という点では異論がある。

 

 エコブームに対するぼくの反感は、本来、現代の大量消費社会と産業構造のあり方、とか、国内・国際政治にかかわるエネルギー対策、とかいうような構造的な問題から論ずべき地球環境の問題を、個人の倫理運動のようなものに矮小化してすり替えてしまうことに欺瞞を感ずるところから始まる。政治家も官僚も財界も、エネルギー対策やCo2の削減というような問題の責任を回避するか、ぼやけさせるために、問題を市民、消費者に押しつけているように見える。

 市民の側もレジ袋をやめて「エコバッグ」にして、なんだかいいことしたような気になる自己満足や『偽善エコ』で応じてしまえばまたなにをかいわんや、という気になる。

 このあたりのことに一切触れることなく、「レジ袋の節約は低炭素社会への入口です」なんて脳天気な「正論」を胸張っていうセンスはさすが生協、というべきだろうか。



◆続き(長くてすいません)

 スーパーだろうが生協だろうが、ぶつぶついう前にさっさとレジ袋を有料化してしまえばいいのだ。それでCo2が減って(減らないけど)、経費が削減される(される!)のだからそれでいいじゃないか。なんで「これからも呼びかけをさせていただきます」っていうことになるんだ。

 

 そしてなにより、一番答えてもらいたかった「消費の抑制運動」についてはなんの回答もなく、「ハードルが高くて真意が理解できません」だとのこと。ふざけてるよな。Co2削減の最大の近道は消費を抑制することにあるのは、誰が考えたって当たり前じゃないか。企業がモノを作り、消費者がモノを消費する、この過程にすべての原因と結果があるのだから、これを小さくすることこそ対策ではないか。

ところが、生協がやっているのは消費の抑制ではなく、消費の大幅拡大作戦であって、さあ買えさあ買えの大合唱だ。

 内地の皆さんはご存知ないと思うが、北海道の生協は異常なまでに新聞折り込み広告を入れ続けるのだ。たとえばコープ余市は8月1日から今日6日までの6日間に計4回の折り込み広告み入れている。隔日以上の割合だからすごいでしょ。競合のポスフールはせいぜい週2回だから倍以上になる。



 コープさっぽろは道内に91の店があるのだそうだ。この店全部の領域に隔日以上に新聞折り込み広告を入れているとすると、全体の総和はすごいことになるはずだ。用紙だけでも年間で天文学的な枚数になるはずだし、印刷コストや配送に要するエネルギーも膨大なはずだ。組合員になってこのあたりの数字を開示請求したら明らかにするんだろうか。

 一方でレジ袋について消費者を査問しつつ、片方の手で膨大な資源の無駄使いをしているのが、いまのコープさっぽろである。レジ袋の査問をするなら新聞折り込み広告をやめろ、といっておこう。



 コープ余市店の壁には「ひとりは万人のために、万人はひとりのために」という古風な社会主義的メッセージがレリーフになっている。であるなら、国も自治体も同じ方針だ、なんていうバカな回答は撤回するがいい。政官財が結託した自民党政府や、官僚上がりの自民党知事と土建屋議員だらけの北海道がレジ袋削減をいうなら、それだけでうさんくさいではないか。



というようなことを思うのだが、キリがないからもうやめよう。どっちにしても生協のレジは感じが悪いのだ。パートの募集広告によれば時給630円という薄給で人を使っているようだから無理もない。働いている人に文句いっても気の毒なので、できるだけコープには近づかないようにしよう。

 ダイオキシンが忘れられたように、どうせしばらくすればエコブームは終わるのだ。


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藤門 弘

A.H.Fujikado
http://www.arisfarm.com

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