先日、朝日新聞に「脳が踊るリズム感」と題して、またまた面白いことが書いてありました。
朝日だけでなく、すべての新聞は私の心に火をつけるフレッシュ情報ネタ本です。
インターネットニュースは私にはどこか胡散臭く速攻で仕組まれた匂いがして(多分そんなことはないのでしょうけど)頭には入りますが、あまり心に入ってきません。
時間に余裕がある朝の、ゆっくり新聞を読める時間は私にとっては至福の時間です。
電気の画面の文字より、紙とそれに印刷された文字に恋してるんですね、多分、私。

平成生ススキ 箱根仙石原にて。
というわけで、秋の連休初日の朝、ゆっくり広げた新聞に、ジャズのことがめずらしく科学的に書かれていましたので、それを少し。
「私たちはみな、固有のメトロノームを内蔵している。心臓の拍動だ。
ただ、日本人のような農耕民族は、足踏みや上下に手を打ち付けての拍子とりだ。
振り上げた鍬が地面についた時が一拍。拍子をとるたびにリズムが一旦死んでしまう。
一方、西欧騎馬民族系の音楽のリズムは、上へ上へと円を描きながら登っていくイメージ。重力に反発することで音が前に転がって行く」
という、大阪音楽大学大学院北野徹音楽研究科長の言葉。面白いです。
ジャズのスイングが成立するためには、この西欧騎馬民族の音楽のリズムの取り方が必要不可欠なんですね。
とするとですね、日本人の私たちの中にも、もしかして遺伝子的にこのリズム感が入って来ているかもしれないと勝手に想像してドキドキしました、私。
遺伝子学的にも、日本人だからリズム取れないべーなどと、卑屈になることは全然ないですね。太古の昔から、隣の広い大陸から私たちの遺伝子は大量に入ってきているし。
足の短さといった肉体的構造や社会構造上歴史的には農耕民族なんですが、心は騎馬民族のような自由な精神を持つ人もたくさんいますし、ね。
自由な精神とどこがリズム感に結びつくんだと突っ込まれそうですが。
多分、現在の日本において抜群にリズム感のいい人って騎馬民族の血をたくさん受け継いできた人なんじゃないかという勝手な私の想像です。
ちなみに私は多分、遺伝子的農耕民族です。
手拍子足拍子、鍬をえんやこらーの世界です。
はー、よいよい。
またこの新聞記事には、「ジャズの演奏は会話と同じ」とも書いてありました。
「一人一人が持っている固有のリズムを出し合い、ある瞬間にピタリと合う。それがスイングした状態だ」
「固有のリズム」とは一人一人の持つ文化と言ってもいいですね。
その一人一人の文化がそこで融合し合い「スイング」が生まれるのです。
いわゆる個人単位の文化の融合です。
お互い育って来た文化が違えば違う程その融合は素晴らしいものを生み出しうるのではないかというのが私の持論です。
人間は本来未知のものに惹かれるというどうしようもない生物です。
好奇心があるから、移動をし、恋をし、手に入れ、理解をし、といったことですよね。
私の好奇心も放っておけば、はてしなく宇宙まで飛び出していきそうです。
そのワクワクするような好奇心によって新しい文化が生まれていくのだと思います。

異文化交流のスタートは好奇心から
ある大学教授のトスカーナのアトリエにて 皆子供のような好奇心 。
ジャズに話をもどせば。
「ジャズ」という特別な共通言語で語り合う会話。
様々なミュージシャンによるジャズの会話であるジャムセッションが今日もどこかで行われています。
いかがですか?村を越えてのジャムセッション。
日本の狭い村社会だけでは決して大きな「スイング」には育ちません。
文化の違いはスイングの振り幅の大きさの違いにもつながるというもの。
その異文化の会話から派生して来る素晴らしい「スイング」
米国人だけの会話によるジャズの「スイング」でもなく、北欧人だけの会話による「スイング」でもなく、それは未知の会話による「スイング」
シルクロードで西洋と東洋が出合って素晴らしく心ときめく文化が生まれたように
、その異文化の糸と糸とが繋がって、空に螺旋を描いて登ってゆくような音楽。
そんな音楽に、心から惹かれています、私。

伊豆の山の中で iPodでジャズを聴く。
空と雲と樹を映し出す、今もっとも頼りにしている私の音楽再生機。
朝日だけでなく、すべての新聞は私の心に火をつけるフレッシュ情報ネタ本です。
インターネットニュースは私にはどこか胡散臭く速攻で仕組まれた匂いがして(多分そんなことはないのでしょうけど)頭には入りますが、あまり心に入ってきません。
時間に余裕がある朝の、ゆっくり新聞を読める時間は私にとっては至福の時間です。
電気の画面の文字より、紙とそれに印刷された文字に恋してるんですね、多分、私。

平成生ススキ 箱根仙石原にて。
というわけで、秋の連休初日の朝、ゆっくり広げた新聞に、ジャズのことがめずらしく科学的に書かれていましたので、それを少し。
「私たちはみな、固有のメトロノームを内蔵している。心臓の拍動だ。
ただ、日本人のような農耕民族は、足踏みや上下に手を打ち付けての拍子とりだ。
振り上げた鍬が地面についた時が一拍。拍子をとるたびにリズムが一旦死んでしまう。
一方、西欧騎馬民族系の音楽のリズムは、上へ上へと円を描きながら登っていくイメージ。重力に反発することで音が前に転がって行く」
という、大阪音楽大学大学院北野徹音楽研究科長の言葉。面白いです。
ジャズのスイングが成立するためには、この西欧騎馬民族の音楽のリズムの取り方が必要不可欠なんですね。
とするとですね、日本人の私たちの中にも、もしかして遺伝子的にこのリズム感が入って来ているかもしれないと勝手に想像してドキドキしました、私。
遺伝子学的にも、日本人だからリズム取れないべーなどと、卑屈になることは全然ないですね。太古の昔から、隣の広い大陸から私たちの遺伝子は大量に入ってきているし。
足の短さといった肉体的構造や社会構造上歴史的には農耕民族なんですが、心は騎馬民族のような自由な精神を持つ人もたくさんいますし、ね。
自由な精神とどこがリズム感に結びつくんだと突っ込まれそうですが。
多分、現在の日本において抜群にリズム感のいい人って騎馬民族の血をたくさん受け継いできた人なんじゃないかという勝手な私の想像です。
ちなみに私は多分、遺伝子的農耕民族です。
手拍子足拍子、鍬をえんやこらーの世界です。
はー、よいよい。
またこの新聞記事には、「ジャズの演奏は会話と同じ」とも書いてありました。
「一人一人が持っている固有のリズムを出し合い、ある瞬間にピタリと合う。それがスイングした状態だ」
「固有のリズム」とは一人一人の持つ文化と言ってもいいですね。
その一人一人の文化がそこで融合し合い「スイング」が生まれるのです。
いわゆる個人単位の文化の融合です。
お互い育って来た文化が違えば違う程その融合は素晴らしいものを生み出しうるのではないかというのが私の持論です。
人間は本来未知のものに惹かれるというどうしようもない生物です。
好奇心があるから、移動をし、恋をし、手に入れ、理解をし、といったことですよね。
私の好奇心も放っておけば、はてしなく宇宙まで飛び出していきそうです。
そのワクワクするような好奇心によって新しい文化が生まれていくのだと思います。

異文化交流のスタートは好奇心から
ある大学教授のトスカーナのアトリエにて 皆子供のような好奇心 。
ジャズに話をもどせば。
「ジャズ」という特別な共通言語で語り合う会話。
様々なミュージシャンによるジャズの会話であるジャムセッションが今日もどこかで行われています。
いかがですか?村を越えてのジャムセッション。
日本の狭い村社会だけでは決して大きな「スイング」には育ちません。
文化の違いはスイングの振り幅の大きさの違いにもつながるというもの。
その異文化の会話から派生して来る素晴らしい「スイング」
米国人だけの会話によるジャズの「スイング」でもなく、北欧人だけの会話による「スイング」でもなく、それは未知の会話による「スイング」
シルクロードで西洋と東洋が出合って素晴らしく心ときめく文化が生まれたように
、その異文化の糸と糸とが繋がって、空に螺旋を描いて登ってゆくような音楽。
そんな音楽に、心から惹かれています、私。

伊豆の山の中で iPodでジャズを聴く。
空と雲と樹を映し出す、今もっとも頼りにしている私の音楽再生機。


















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