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 オーストラリアの3RINGSの楽しいワインラベル
          IT'S MAGICという文字も楽しい。
             イツもマジ「ジャケ買い」しているワイン。 



「アートから刺激を受けることが人生の喜びです。特に現代アートから受ける刺激の強さは比類のないもの。一見して分らないもの程刺激が強く、長い間、僕を楽しませてくれる」
現代アートコレクター佐藤辰美  朝日新聞より

一見してよくわからないもの程長い間楽しませてくれる、とは言い得ている。
現代美術に贈られる英国のターナー賞も、その高い位置ゆえに皆を引きずり込んで楽しませてくれている。「変わっているからこそ議論するに値する」みたいな賞。

音楽は、少し違う。
けれど、少し当たっている。
わかり易すぎるとつまらない。
いいなとは確かに思うのだけれど、それでおしまいだったりする。
わからないもの程飽きないし、長く側において楽しみたくなる。
でも何と言っても音楽で大切なのは、心地いいということ。
私にはどんなに意味不明でおもしろくても、やはり心地悪い不協和音は「別れる前の夫婦」のような音でしかないのです。
私が好きな音楽は絶対的に「心地よい音楽」。


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 ?な彫刻。「位置と大きさ」の?な距離感とが私の頭を惑わす。 



若い人は傾向として、一見なんだかわけがわからないものが好きです。
見ていても、聴いていてもはっきり言って意味がわからないことが多い。
その若い人からもらう刺激がまるで惑星探索のようで私には楽しくてたまりません。
若い彼らからはアイディアが次から次に湧き出てきて、それが一定ではなく、まだそれを表現する技術も伴っていなかったりします。

「アイディアに技術が伴いはじめる、その過程が面白い」
これは前述の佐藤辰美氏が朝日新聞の中で若手の現代アート作家に対して言っている言葉。
これは全くジャズも一緒だなあと思うのです。若いミュージシャンは本当におもしろい。

今手がけているジャズのアルバム(Magnus Hjorthのアルバム)は、私が作ろうとしていたものと、全く違う方向に行こうとしています。
彼らの持つ若いが故のアイディアが混沌のように混ざり合いながら行きつ戻りつしています。
トリオには一人決して若くはないミュージシャンが入っていますが(池長一美のこと)彼はおもしろいです。不思議な面白さを持っています。彼がいつまでも若いと言われる所以かもしれません。彼は日本の中でも変な位置に位置しているのかも。
彼の魅力を日本でわかっている人たちがどれほどいるのだろうと思っているのですが。
不思議な組み合わせの3人のこの音楽を聴きながら、なぜこんな方向に来てしまっているのだろうと、アルバムの行方を思いながら私は時々自問しています。
音楽は生き物のようで、こうだろうと思ってもそうではない。
きっちりと作ろうとすればする程つまらなくなる。
だからミュージシャンにも自由にしていいんだよと言いたくなる。(本当はそんなこと言うと大変なことになるので、絶対に言いません)
そんなわけのわからないものの大好きな私は「わけのわからないものが作りたいーっ!」と常に心の中で叫んでいるのです。アルバムには、「3人がわけのわからないまま始めてそして落としどころを求めて彷徨い終わる」と言った?な曲も入れてしまいました。

しかし、そう言いながらも、今回のアルバムは全体としてやはり「わけのわかるもの」になってしまいました。私の舵取りはやはり最終的にはここに落ち着いてしまいます。それはやはり、私が作る「商品」だから。
「yさんは余計な説明が多すぎます」といつも若いデザイナーに言われています。
そうは言ってもなあ。心地よい音で、できるだけたくさんの人にも聴いてもらいたいしなあ。
ジャズも、お金を出して聴いてもらってナンボのものなのです。
ライブも、お客さんに来てもらってナンボのもの。
混沌が落ち着いた先にあるのが大切な「商品」なのです。

次のアルバム録音ではもっともっと、わけがわからなくてもいいから、と一人つぶやいている私でした。ただし心の中だけでです。


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 昨日の富士山と芦ノ湖。夕刻の景色は時間がこつこつと彫り上げて行く。



最後に。

獏先生のキマイラ、新刊がもうすぐ出ますね。
たくさんのコメントをありがとうございます。
キマイラは約30年間続いてきたものです。それほど長い間ファンで居続けて、続きを楽しみにしていらっしゃった方々のコメント、本当にありがたいです。
作家は一人でもファンがいる限り書き続ける、ということが作家の本音ではないかと思うのです。
でもそれだけではない、獏先生は何と言っても「自分のために書いてる」そうです。
キマイラという作品は、長年かかって作者と共に成長してきたもの。
ライフワークという単純な言葉ではくくれないほどの強い情感の詰まった作品です。
作者の技術は思いを追い越し、技術は追い越したはずなのに思いが追いつかなかったり、土俵が変わったり。
千々乱れつつ、この長い年月を経て来ました。

このうねるような、信じられないほど長い年月をずっと見守ってくださっている方。
何ものにも代え難い宝物です。
感無量です。
yy