くつろぐ猫を上から見下ろしていると、猫はあのかわいい錨のような耳でさまざまな音を聞き取り、そのひしゃげた鼻でいくつもの匂いを嗅ぎ、四方に伸びたヒゲで風を感じているのがよくわかるのだ。
猫にとっての世界は、その五感の届く限りのところかもしれないけど。
もしかして意外とそれは信じられないくらい果てしがないのかもしれない。
仕事する私の足下で、背後を私に守られ、くつろぐ猫を見ていてそう感じたのです。

2010_06_18-1

 なぜかいつも、私の動線の先。
     邪魔なところでくつろぐ猫。


うちの庭から、あの犬のワイクー婆さんが姿を消して、一週間以上が過ぎました。

私がコペンハーゲンから帰って来る前日、その日の夜に、庭からいなくなったのだと言うのです。
その日は朝から庭屋さんが出入りしていて、いつもは閉じられている木戸をスッとすり抜けて出て行ってしまったのかもと。

でも、ヨタヨタとしか歩けないワイクーのこと。
絶対にそう遠くへ行くわけがないと、同居人は私の留守中に一生懸命に探してくれたそうですが、見つからなかったのだそうです。

鼻も利かないし、目もよく見えない。
誰か他の人が可愛さに連れて行くなんてことは99%ありません。
それほどの老犬。
鳴くこともあまりできなくて、ただうろうろと庭を歩き回っていただけの彼女に自分から出て行く、そんな力が残っていたなんて。

ある人が言うのです。母をたずねて3000里の旅に出たんだよ。
(母とはコペンハーゲンに行ってしまった私のことです)
うーっ、そんなことを言わないでくれー。
そう考えると悲劇なので、私は彼女は人生最後の旅に出たのだと考えています。
迷い犬届けも出し、警察にも届け、2、3日、家の木戸を開けて待っていました。
そして音沙汰なし。
心の中は複雑に渦が巻き続けています。
もしかして、もしかして。
ありとあらゆる想像が頭の中をくりかえすのです。

でも。
今、一週間以上が経って、旅を続ける夢見るワイクー婆さんの姿がようやく私の心の中に現れるようになって来ました。

やはりあの不思議な犬とはそんな別れ方だったのか。

19年間の長い付き合いだったけど、彼女はいつでも好きなように生きて来た。
予防接種に連れ出される時と獣医さんのところに行くとき以外は。
その時の全身全霊をこめた大抵抗は近所迷惑になるくらいすごかった。
そうやって嫌なものを大拒絶。
愛想も振りまかず、ワンとも言わない。
名前を呼んでもすぐに背を向け、別方向に歩き出していたおかしなワイクー婆さん。
彼女は好きなように出て行くチャンスを待っていたのだ。


言うまでもない、別れって本当につらいです。
以前飼っていたトビスケという犬とは、手の中で冷たくなっていく大きな体を看取るというかなり辛い別れ方だったので、ワイクー婆さんの選んだ(かもしれない)別れ方はやはり彼女らしいと思うしかないです。

自由が好きだった変な犬。
いつのまにかいなくなってしまったワイクー婆さん。

もし気が向いたらまたいつかフラリと帰って来てね。
軒下にはいつもの毛布を敷いて待ってますよーん。


2010_06_18-2

 思い出すのは少しつらいけど、再登場。
      愛しのワイクー婆さん。


世界は謎に満ちている。
もしかして、うちの猫はすべてを知っているのかも。
今、足下にくつろぐ私の猫は、ワイクー婆さんのすべてを知っていてほほえんでいるのかも。


2010_06_18-3

 飯野和好さんから先日無理矢理いただいた扇子。
    傑作。
     大切にコペンハーゲンに持って行って、
      これで、不思議な謎の風を作って来ました。