2010_03_08-2

美しい瀬田川の春の夕暮れ。



ダム反対派だった一人がアルバムを取り出して見せてくれた。
スクラムを組んで気勢を上げる人達。彼が写真の中の一人の青年を指差していった。
「これが私です」
思わずその人の顔を見た。写真にある若々しい男は今や年老い、80歳になっているのだ。日本ではダム反対運動をやると、一生かかるのだ。
(中略)
川辺川ダムを見よ。八ツ場ダムを見よ。
40年も50年もその是非について揉めるダムというのは、そのダム計画自体が間違っているのだ。
        
        野田知佑 新・日本の川を旅する (BE-PAL4月号より)

この文章は、日本中の川を下ってダムについての怒りの提言を何十年も続けているカヌーイスト野田知佑氏の文。
久しぶりに読んだビーパル連載の彼の文章で、ガツンと頭を殴られた思いです。
先日、単行本化された野田知佑著『ダムはいらない』(小学館刊)を読んだばかりだったので、ビーパルに掲載された、この一番新しく書かれた彼の文章はかなりきつく響いて来ました。
緩むどころか、ますますの憤慨を込めて日本のダム行政について野田氏が語っているのです。


期待していた民主党政権で本当に日本のダム行政は変わっていくのだろうか。
声を上げ続けなければ何も変わらないかもしれない。
油断すると、なにかまた巨大なものに飲み込まれてしまいそうだ。
そんな思いがしてきました。

それにやはり私が怒りを持って思うのは、国が今までしてきたこと。
国はお金を使って、ダム建設に揺れる村を賛成派と反対派に二分し、それが住民同士が反目し合う結果になり、その村の人間関係までもがズタズタになってしまったこと。
そういうことへのやりきれない思い。
もちろんお金はとても大切です。
お金には弱いのです、皆。
ダムを作るために「お金をばらまく」という、その単純な解決方法をあさましく使い続けた国。
遠い昔から今まで大切に受け継がれて来たのであろう人間の気持ちや古い日本の文化。
それらを目の前にお金をちらつかせる事で断ち切って来た国の行政、そんなことに巨額の税金を使って来た国への怒りです。
昨年、自民党が行った定額給付金も、その浅い考えの流れの一つです。

ビーパル4月号(今、発売中です)の野田知佑氏の文章を読むと、ダム行政のその愚かな流れがよく解ります。
考え方は人それぞれですが、私は「事実を知ること」はとても大切だと思うのです。
もしよければぜひ読んでみてください。
やりきれなくなります。


2010_03_08-1

 伊勢の五十鈴川 
   この川を使い木曽で切り出された式年遷宮用の木が川曳きされる
     川沿いには古い街並が今も残る。


川の側に住む人たちの文化は、日本の海の文化と同じ日本の原点にも通じる大切な文化。
大きな川は、昔は文化をつなぎ、それは文化と人の流れる道でした。
それに加え、日本の川は恵みの宝庫です。
川は海へ続き、上流から運ばれた土砂で広い砂浜を生み出し、藻を育て魚を育てます。
私も川の側で育ったので、知らず知らずその豊穣さ、楽しさ、美しさの恩恵を受けてきました。
------春先の堤防の草むらの優しい匂いや川辺に生えている小さなスミレ、浅瀬で跳ねる魚。河口でとれる大きなシジミ。
四季をめぐる水のある風景とその川が生きているという実感-------


私の結論から言えば、「ダムは文化を断ち、恵みを断ってしまう」のです。
川について考えてみるのは今からでも遅くないと思います。
あの懐かしい美しい川はまだまだ日本のどこかに生きていて、今もその傍らで生活している人たちがいます。
その美しい生きている川を潰すことに、これ以上巨額の税金を使ってはいけない。

ダム建設に反対することで、都会の中で埋没しているこの心でさえ生かせるのです。
川で遊んだことのある私たちの世代の熱い心は多分まだ生きているのだろうと確信しています。
子供たちの世代は残念ながらもうかなりの若い人たちが本当の川の楽しさを知りません。
だからなんとか声を大にして言いたいのです。

「もうこれ以上、いらないダムを作ってはならないのだ」


BE-PAL4月号の、岡山県の津山にある苫田ダムの話。
もう何十年も訴え続けてきた野田知佑氏72歳の気骨の文章が心を打ちます。



2010_03_08-3

 伊豆の狩野川の美しい淵。