「いっそ小学校の必須科目は、読み書きそろばん、ボケ、ツッコミをしっかり練習すればいいのです。それによって人といきいきとかかわるコミュニケーションの力も付き、仲間と違う意見を言ってもはじき出されず、知恵もわいてきます。(中略)海外に出れば異質の集まりなのですから、いっそうその必要性がわかるでしょう」 木村政雄談
漫才のボケとツッコミの役割について面白い観点で書かれていました。木村政雄氏の言です。木村氏はあの吉本興業の元大阪本社代表です。

コペンハーゲンの空港で 温暖化する地球儀を背に
ボケとツッコミ中の二人、てなワケナイデスか。
ツッコミは、普通の価値観、常識、建前。
それに対し、ボケはそれをあえて外した、別の側面からの視点であったり、非常識な考え方であったりします。
このボケとツッコミという複眼の手法がいい仕事を生んでいくのだと。
現代の日本はツッコミばかりがまかり通り、当たり前のことや建前がきまじめに語られすぎ、クレームを恐れて当たり障りのない意見が並び、メディアにも柔軟性がないと。
上記の文は朝日新聞の12月13日の「仕事力」というコラムからです。「肩書きに隠れない」というテーマの木村政雄氏の語る仕事。おもしろかったですねー。
先日もある人と話していて、「企画力にすぐれ、新しい考えを会社にもたらすのは40代までだ」という意見で大いに頷いていたところでしたので。もちろんこれは会社勤めに限ってのあくまでも一般論です。
50代会社員の中でも、敢えてそういう保守的な立場にいることを自ら否定し新しい分野に飛び出したり、年功序列の肩書きを捨て現場に留まる人もいますから一概には言えません。
かく言う私。保守と革新の間で揺れ動いています。ただ私は昔から「常識」という言葉アレルギーです(昔から父に「常識」がないやつだと呪文のように言われ続けてきましたそのおかげです)だから「常識」という言葉で説教されると私は大変なことになります。「じゃあ、常識って何よ?私は違う道を行ってやるー」というアウトローぶり。
ああ、もう少し柔らかく考えればいいものを・・ガンコすぎて損ばかりが私です。損な性格ってやつですね。おわかりでしょうが、こんな性格の人はなかなかうまく会社勤めができません。そういう訳でずっとどうしようもない自由業です。
私の常識論を言っても仕方ありませんね。私が言いたかったのは、一番最初に揚げた日本の学校教育に対する木村政雄氏の言です。
「非常識から花が咲く」ということです。「定番から外れてみる」「脇役に回ってみる」そういうことで空気の流れが変わり、突破口がみつかるということらしいです。
ものごとを一つの面からでしか見るのではなく、もう一つの面から見てみるということの重要性です。
欧米の教育では、「ディベート」という肯定否定2組に別れて意見を戦わすちょっと過激な正攻法でお勉強したりしますが、日本人の私にはこれが少し苦手。どうしてでしょう。
日本では「ディベート」ではなく小学校から教える「ボケとツッコミ」があれば、もしかして未来への突破口になるかももしれません。もしそれが実現の暁には、その科目を教えてくれる先生も、できれば漫才師とかコメディアンの方たちでお願いしますっ。楽しみですねー。
カッチリとした「ディベート」ではなく、愛情というオブラートに包まれた「ボケとツッコミ」が日本人にはぴったりです。
元吉本の木村氏の提案、とてもいいアイディアだと思います。真面目にですよ。
海外に行くと、がんがん議論を交わして最後でユーモアで締めくくり「はいまたね」という別れ方がすごく上手だなあと思うことが多々あります。それに比べて日本人は真面目すぎて余裕がないなあということ。これは多分真面目すぎる学校教育の洗礼を受けてきた私にも言えること。
もう少し気楽に自分の意見を言えて、説得力を持って相手に伝わるという、この大切なコミュニケーション力をもっと早いときから身につけておけばよかったなあとこの頃特に思います。小さい時からそういうものの見方を学ぶということもとても大切だと思うのです。
そうそう、落語にもあります。「八さん熊さん、ご隠居さん」「与太郎、ご隠居」っていうのが。
昔ながらの、ロールプレーングで学ぶ知識です。
落語の場合、単純に笑っておしまいではなく、よく聞くとそこには何かが隠れているのです。シナリオどおりではない結構深い哲学です。
上手な噺家の「与太郎、ご隠居」は完全に逆転しています。ダメな与太郎の方が人間的に共感できてずっと素晴らしかったりします。私は。
愛しのボケとツッコミ。
多分、このブログもボケとツッコミそのものですね。
相方がいないので一人でやってますね、私。

ひとりで客引き中、健気なアヒル 台北で。
というところで、またまたジャズ。
ジャズにおけるデュオ。
二人でやる駆け引きの聴ける素晴らしい演奏、デュオ。
来年2月24日にCloudからリリース予定の「Someday. Live in Japan」にはマグナス・ヨルトとペーター・エルドによるボケとツッコミ、いえ、ピアノとベースによるデュオ演奏が入っています。これはお茶の水ナルで今年6月に収録されたもの。
このイントロにはライブハウス録音のエッセンスをたっぷり入れました。ライブハウスのざわめきからフェイドインしてます。
マスタリングエンジニアが言うには、このざわめきは「どうしようもないおっさんの会話ですよ」と。
でも「入れてください」と頼みました。
ジャズのエンジニアにとっての、その「どうしようもないおっさんの会話」も私にはとても大切な音です。
そのナルでの会話の主、それは秘密です。買って聴いてくださればわかる人にはわかると思いますが。
私からはとても言えません。
シークレット「Ain't Misbehavin.」です。
これはライブハウスのワンポイント収録による録音法が生きた一曲でもあります。そのままの空気感をとても大切にしました。できれば、いいヘッドホンでじっくりとその隅々の空気まで味わっていただけたらと思います。

漫才のボケとツッコミの役割について面白い観点で書かれていました。木村政雄氏の言です。木村氏はあの吉本興業の元大阪本社代表です。

コペンハーゲンの空港で 温暖化する地球儀を背に
ボケとツッコミ中の二人、てなワケナイデスか。
ツッコミは、普通の価値観、常識、建前。
それに対し、ボケはそれをあえて外した、別の側面からの視点であったり、非常識な考え方であったりします。
このボケとツッコミという複眼の手法がいい仕事を生んでいくのだと。
現代の日本はツッコミばかりがまかり通り、当たり前のことや建前がきまじめに語られすぎ、クレームを恐れて当たり障りのない意見が並び、メディアにも柔軟性がないと。
上記の文は朝日新聞の12月13日の「仕事力」というコラムからです。「肩書きに隠れない」というテーマの木村政雄氏の語る仕事。おもしろかったですねー。
先日もある人と話していて、「企画力にすぐれ、新しい考えを会社にもたらすのは40代までだ」という意見で大いに頷いていたところでしたので。もちろんこれは会社勤めに限ってのあくまでも一般論です。
50代会社員の中でも、敢えてそういう保守的な立場にいることを自ら否定し新しい分野に飛び出したり、年功序列の肩書きを捨て現場に留まる人もいますから一概には言えません。
かく言う私。保守と革新の間で揺れ動いています。ただ私は昔から「常識」という言葉アレルギーです(昔から父に「常識」がないやつだと呪文のように言われ続けてきましたそのおかげです)だから「常識」という言葉で説教されると私は大変なことになります。「じゃあ、常識って何よ?私は違う道を行ってやるー」というアウトローぶり。
ああ、もう少し柔らかく考えればいいものを・・ガンコすぎて損ばかりが私です。損な性格ってやつですね。おわかりでしょうが、こんな性格の人はなかなかうまく会社勤めができません。そういう訳でずっとどうしようもない自由業です。
私の常識論を言っても仕方ありませんね。私が言いたかったのは、一番最初に揚げた日本の学校教育に対する木村政雄氏の言です。
「非常識から花が咲く」ということです。「定番から外れてみる」「脇役に回ってみる」そういうことで空気の流れが変わり、突破口がみつかるということらしいです。
ものごとを一つの面からでしか見るのではなく、もう一つの面から見てみるということの重要性です。
欧米の教育では、「ディベート」という肯定否定2組に別れて意見を戦わすちょっと過激な正攻法でお勉強したりしますが、日本人の私にはこれが少し苦手。どうしてでしょう。
日本では「ディベート」ではなく小学校から教える「ボケとツッコミ」があれば、もしかして未来への突破口になるかももしれません。もしそれが実現の暁には、その科目を教えてくれる先生も、できれば漫才師とかコメディアンの方たちでお願いしますっ。楽しみですねー。
カッチリとした「ディベート」ではなく、愛情というオブラートに包まれた「ボケとツッコミ」が日本人にはぴったりです。
元吉本の木村氏の提案、とてもいいアイディアだと思います。真面目にですよ。
海外に行くと、がんがん議論を交わして最後でユーモアで締めくくり「はいまたね」という別れ方がすごく上手だなあと思うことが多々あります。それに比べて日本人は真面目すぎて余裕がないなあということ。これは多分真面目すぎる学校教育の洗礼を受けてきた私にも言えること。
もう少し気楽に自分の意見を言えて、説得力を持って相手に伝わるという、この大切なコミュニケーション力をもっと早いときから身につけておけばよかったなあとこの頃特に思います。小さい時からそういうものの見方を学ぶということもとても大切だと思うのです。
そうそう、落語にもあります。「八さん熊さん、ご隠居さん」「与太郎、ご隠居」っていうのが。
昔ながらの、ロールプレーングで学ぶ知識です。
落語の場合、単純に笑っておしまいではなく、よく聞くとそこには何かが隠れているのです。シナリオどおりではない結構深い哲学です。
上手な噺家の「与太郎、ご隠居」は完全に逆転しています。ダメな与太郎の方が人間的に共感できてずっと素晴らしかったりします。私は。
愛しのボケとツッコミ。
多分、このブログもボケとツッコミそのものですね。
相方がいないので一人でやってますね、私。

ひとりで客引き中、健気なアヒル 台北で。
というところで、またまたジャズ。
ジャズにおけるデュオ。
二人でやる駆け引きの聴ける素晴らしい演奏、デュオ。
来年2月24日にCloudからリリース予定の「Someday. Live in Japan」にはマグナス・ヨルトとペーター・エルドによるボケとツッコミ、いえ、ピアノとベースによるデュオ演奏が入っています。これはお茶の水ナルで今年6月に収録されたもの。
このイントロにはライブハウス録音のエッセンスをたっぷり入れました。ライブハウスのざわめきからフェイドインしてます。
マスタリングエンジニアが言うには、このざわめきは「どうしようもないおっさんの会話ですよ」と。
でも「入れてください」と頼みました。
ジャズのエンジニアにとっての、その「どうしようもないおっさんの会話」も私にはとても大切な音です。
そのナルでの会話の主、それは秘密です。買って聴いてくださればわかる人にはわかると思いますが。
私からはとても言えません。
シークレット「Ain't Misbehavin.」です。
これはライブハウスのワンポイント収録による録音法が生きた一曲でもあります。そのままの空気感をとても大切にしました。できれば、いいヘッドホンでじっくりとその隅々の空気まで味わっていただけたらと思います。

息子と一緒にAV観賞ですか。美しい姿です。
スピーカーについてのコメントもありがとうございます。そのとおりですね。